教育効果の分かりにくさ

先日下の学年に入っている同期と話していた時のことです。



我々の学年は、特別指導ゼロや学力の状況、行事力に関して大満足しています。



同時に下の学年のやり方に対しては疑問視している先生が我々の学年の先生には多いです。

管理や締め付けをし過ぎてて、生徒は縮こまり、そのせいで自発的な行動ができなくなっているのでは。

例えば合唱で一クラスも入賞できず、文化祭でも同様。

それは担任団の管理的な指示ばかりするやり方にあると我々の学年からは見えていました。

また、進路行事では、「全員必ず〜行以上のメモを取り、担任に提出すること。」「全員が提出しないと、ホームルームは終わらない。」「学年集会では何分以内に並び終わらなかったので、全員教室に戻り一からやり直し。」などなど。

割とやんちゃ気味な子達が、やはり学年の生徒達全体から排除傾向にあるのは、担任団の方針が理由だと思っています。


それを同期にやんわりとぶつけたところ、意外な反応がかえってきました。



我々の学年は元々生徒達が小さくまとまり、主体性がなかった。

指示待ちで、自分達では動けないから、こちらから指示をし、丁寧に教えてあげることで指導している。

合唱も、我々の学年は元々入学時から歌える生徒がいないのが1番の問題。

そして、生活指導についても管理的どころか、逆にかなりゆるい指導だと思っている。

やんちゃな彼らの現状は彼らの問題である。中途半端に真面目なのが原因である。



逆に先生達の学年は、担任ごとでバラバラに指導し、またゆる過ぎて適当過ぎる指導で倍率の低下を招いたのでは。

たまたま先生達の学年は生徒が良かったから、あのような指導方法が可能だった。



揺るぎない自信があるので、こちらは感情的にならず、かなり冷静に一つの見方を受け取ることができました。



教育効果について語る時、常に話は
〜だったら、〜であれば、
と仮定の話になります。

何をしたからどうなった、というのはすべて想像でしかありません。

だから何が正解なのかは決して明らかにはなりません。

いや、正解がなんなのか自体個人個人の教育観によるところが多い。



そこですべては各教員の自己評価、言い方を変えると自己満足が判断規準になります。



我々は自分達のできる限り客観視した上で、自分達の学年のやり方の正当性を検証したつもりでした。

でも、それも外部から見ると違う見え方だったりするんですね。



また、他の学年に対しても、冷静に客観的に疑問点を伝えたつもりでした。

それも、内部の人間からすれば、受け入れられない、まったく間違った見方だったようです。



自分はやはり、

「元々の生徒が〜だから」という見方は絶対にしないぞと思いました。

それでは反省も出来ないし、教員として成長出来ないと思うからです。


同様に、やはりこの仕事の成果の見えにくさを改めて認識しました。



割と冷静で客観視する能力があると思っていた同期の発言の数々は正直ショックでした。

でも、そこで自分が正しくて彼が間違ってると決めつけるのは、やはり違うのかなとも思いました。


また、自己満足で終わらせることにも問題を感じます。

それだけでいいのであれば、全教員が最高の仕事をしていることになるからです。

自己満足をせずに働いている先生はいません。



いやぁ〜、勉強になりました。

そして本当教育って奥が深いですねぇ。
[PR]
by shun-sensei | 2013-11-24 15:29 | 担任業 | Trackback | Comments(0)

高校でもいよいよ新学習指導要領による授業がスタートしています。

「英語の授業は英語で行うことを基本とする」という文言がメディアを賑わせた指導要領です。

実際、多くの学校ではどうかというと、今まで通りの訳す活動が中心の授業が行われているでしょう。

少なくとも本校ではそうです。


さて、1年目はその学習指導要領にずいぶん悩まされ、苦しめられたshunsenseiですが。

現在は様々な授業を見させていただき、次々と発売される本や雑誌を通じて、かなり授業とはこうあるべきという形が見え始めてきました。



そんな中以下の本を読みました。

「高校英語教育を整理する」
d0153971_2039126.jpg

この本は何が正解なのか?などの意見は一切書かれていません。

書かれているのは現場でよくあるすれ違いの例です。

それなので、読み終わると、もっと勉強をしたい!!議論をしたい!!という気持ちになる本です。



実際読んでいると、自分自身の今まで感じていたモヤモヤをつかれているような気持に何度もなりました。

これから英語教師になる人、そして現場の教員にはかなりのおススメの一冊です。



例えばgap7の理論と実践のセクションでは、理論と実践いう言葉に対する各教員の認識の違いを具体的な会話を取り上げたうえで分析しています。

私自身、大学の先生方が書いた英語教育本を読むときに感じる違和感が正に表現されていて、少し反省もしました。

ついつい授業ですぐに活用できるか?という視点で読んでしまいがちですが、その根本的な理論を理解し、応用して活用しようとすることが大切だなと思わされました。

また、大学の先生が書いたからと言って、すぐに「現場を分かっていないなぁ」と考えがちな自分自身を再発見し、今後はもう少しフラットな視点で読もうと思いました。



また、一番自分の中のモヤモヤがすっきりしたのがgap9のコミュニケーションとgap12の音読の役割でした。

様々な授業実践を見学させていただいたり、あるいは研究会などに参加していた時に感じていた疑問。




「コミュニケーション活動を行う」という目標なのに、教科書の音読ばかりでいいのか?

また、教科書の役割についても、訳すことに反対している方々は、ひたすら繰り返し音読して暗誦することを目標としていて、果たしてそれで英語力がつくのか?




この疑問の根底にあるものに初めて気がつくことができました。

私自身はコミュニケーション活動については、あくまで自分の意見や考えを自分の言葉で発することと認識していました。

しかし本書の中で紹介されているように、自分の言葉でなくても英語で表現する活動すべてをコミュニケーション活動と考える先生方もいるようです。



またアウトプットについても、私はあくまで自分でそれぞれの表現を活用しながら自分の言葉で発することと認識していました。

よって音読はアウトプット活動ではなく、あくまでインプットするためのリーディングの活動と考えていました。

しかしこれまた本書では全く異なった先生が紹介され、音読もアウトプット活動であり、スピーキング活動の一種と考える方もいるようです。




この2つの用語に対する認識の違いは自分自身の中ではまったく意識したことがなかったことで、読みながら何度も衝撃を受けていました。

同時に、様々な研究会での自分が感じていたモヤモヤが一気にスッキリするとともに、すぐに今まで読んだ本を読み返してしまいました。



またそれ以外にも、現場の教員(私だけでしょうか?)が感じている英語科でやっていく難しさの典型的な先生が登場したりして、全国の先生が同じ気持ちで頑張っているんだなぁと変なところで感心してしまったり。

自分が次の担任の時に考えていたプランの「量」に関する認識の違い(gap13)や「やさしい教科書を使うこと」について(gap16)など、非常に参考になる意見を読むことができました。


特にこれから英語教員になるという先生には非常におすすめの一冊です!!
[PR]
by shun-sensei | 2013-11-03 20:44 | 教員採用試験 | Trackback | Comments(0)