2010年 08月 30日
自戒朝講習を終えて、母と同じ年くらいの講師のおばちゃんと話しこんでしまう。
キャリア教育について、ウチの生徒がぶつかりあわず高校生らしいドロドロした世界から目をそむけていることについて。
4大希望の生徒が、高校生の段階で職業観なんて持てるわけがない。
そんな風に決めてかかっていた。
みんな大学3年生になって、あるいは一度社会人になってから決める時代なんだ。
早くから「やりたいことを決めて進学しなさい」「将来何をしたいの?」と大人は迫り過ぎ。
そんなんだから生徒は「医者、弁護士、マスコミ、保育士、芸能関係、ペット関係、看護師」など分かりやすい仕事を選ぶことになる。
ったく、高校生の時なんかに決められる訳ないんだから、今は放っとけばいいんだよ。
本気でそう思っていた。
確かに上記のような誤ったキャリア教育が世の中氾濫している。
その結果、狭い選択肢から無理やりあまり考えず選んだ「やりたいこと」が違って逆効果という事態が起きている。
自分を含めた不勉強な大人たちが、未来ある子どもたちの人生を踏み違えさせてしまっている。
完全な仕事放棄。
高校の時に、何もしないよりは何か考えるきっかけをちゃんと与えるべき。
自分を見つめて、訳が分からず苦しむ。
人間関係の醜い部分を知り、考え、嫌な気持ちになる。
同時に人間関係の素晴らしさを知り、考え、混乱しながらモヤモヤしながらも感動する。
そんな苦しさこそ高校時代に味わう一つの大切な気持ちなのではないだろうか。
世の中正解が分からないことがたくさんある。
多様な価値観を認め、受け入れ、今の日本と言う社会における真理を考える。
そんな社会でどんな大人になるのか?どうやって君たちは社会で生き抜くのか?
どんどん揺さぶって、落ち着かせて、ちょっと苦しめて、悩みぬかせる効果はきっと大きい。
でも自分自身が未熟過ぎて生徒たちの揺れを支え切る自信がない・・・。
さらに学習指導要領、中教審の答申、文科省の出すビジョンや提言など・・・。
現場の教員はそれらに目を通すことさえしない人も多い。
自分の今までのやり方、やって来たことが正解だと決めてしまっているところがある。
でもそれはある意味「自己流」の限界があるやり方なのかもしれない。
本当に究極の教育を行えるようになるには、常に視野を開いて謙虚に学び続けなければならない。
現場を知らないからそんなこと言うんだよ。
現実的にそんなんできるかよ。
こんな風に言い訳していないだろうか。
英語教員として、高校教員として、人間として、あまりに未熟な自分が悔しい。
悔しいからこそ、もっともっと時間をかけて学ばなければならない。
毎日ちょっと忙しいからって、ちょっと疲れちゃったからって、甘えるな。
でもストレスたまると空回りして楽しめなくなるから程ほどにね。
バランスです。あ、結局一学期に言ってたことに戻っちゃった。
未熟な自分がちょームカつくし、嫌なのは事実。
それを少しでも解消していけば仕事がもっともっと楽しくなるはず。
人の意見に染まりきるな。先輩の言うことを絶対と思いこむな。自分の考えをしっかり客観視する。そしてちゃんと理想論を読んで、いいところをどんどん吸収する。
生徒のためになることは何でもしよう。やれる範囲で。
明後日から2学期です。
また忙しくてそれどころじゃなくなった時に振り返ろう。